パルプ・フィクション
ギャング、ボクサー、強盗カップル。関係のなさそうな話が時系列をバラバラにして並べられ、最後にひとつの形に収まる。90年代以降の映画を決定的に変えた一本。

公開当時はまったく当たらず、アカデミー賞も無冠。それが今では世界中の映画ファンが「生涯ベスト」に挙げる一本になりました。なぜこの映画だけが、こんなに長く愛され続けているのかを書きます。
ネタバレについて:この記事はネタバレなしで書いています。結末や物語の核心に触れる内容は載せていません。
1947年。銀行の若き副頭取アンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を射殺した罪に問われ、終身刑を宣告されます。本人は一貫して無実を訴えますが、状況証拠はすべて彼に不利。送られた先は、看守の暴力と所長の私腹肥やしがまかり通るショーシャンク刑務所でした。
無口で線の細いアンディは、当初は格好の標的になります。しかし彼は、刑務所の中で「調達屋」として一目置かれる古参の囚人レッドと出会い、少しずつ自分の居場所をつくっていく。銀行員としての知識を買われて看守たちの確定申告を引き受け、所長の裏帳簿まで任されるようになり、やがて州議会に手紙を書き続けて刑務所に図書館を作らせるまでになります。
淡々と、しかし一日も欠かさず。アンディが刑務所で積み重ねた20年が、静かに一点へと収束していきます。
看守の税金の相談に乗る見返りに、アンディが仲間のために求めたのはビール3本だけ。屋根の上で夕日を浴びながら瓶を傾ける囚人たちを、レッドが「まるで自由な人間のようだった」と振り返ります。この映画の希望の描き方が、いちばん端的に出ている場面です。
アンディが所長室に立てこもり、『フィガロの結婚』のレコードを刑務所じゅうに流してしまう場面。歌詞の意味は誰も分からないのに、全員が手を止めて空を見上げる。塀の中でも奪えないものがあるという、この映画のいちばん大事なテーマがセリフなしで伝わります。
物語はすべてレッドの回想で語られます。モーガン・フリーマンのあの声で「彼はこういう男だった」と語られるからこそ、アンディという人物が神格化されすぎず、手の届く距離に留まる。語り手の選び方が完璧です。
必死に生きるか、必死に死ぬか。
アンディ・デュフレーン(劇中の台詞より)
この映画がすごいのは、「希望を持て」と一度も説教しないことだと思っています。アンディは誰かを励ましもしないし、演説もしない。ただ手紙を書き、石を磨き、レコードをかける。行動しか描かれない。それでも観ている側は、2時間かけてじわじわと「この人はまだ諦めていない」と分かってしまう。
刑務所ものなのに、暴力の描写は必要最小限です。代わりに時間をかけて描かれるのは、囚人たちの日常と、外に出ることへの恐怖。50年入っていた老人ブルックスのエピソードは、この映画がただの脱出劇ではないことを決定づけます。自由は、与えられただけでは希望にならない。
だから終盤の展開が効きます。あれは単なるどんでん返しではなく、アンディが20年かけてやってきたことの答え合わせになっている。伏線を回収して驚かせるのではなく、積み上げてきたものが報われる快感で泣かせにくる。何度観ても、あの雨のシーンで毎回同じところが緩みます。
欠点らしい欠点がない映画ですが、あえて言えば人物の善悪がかなりはっきりしています。所長は徹底して悪人だし、アンディは徹底して正しい。現実はもっと灰色だろうと言われれば、その通り。ただ、これは寓話としてそう作られているのだと思います。
「希望はいいものだ」を、2時間かけて証明してみせる映画。
| 項目 | 点数 |
|---|---|
| 脚本 | 5.0 |
| 映像美 | 4.3 |
| 音楽 | 4.4 |
| 演技 | 5.0 |
| 余韻 | 5.0 |
公開された1994年は『パルプ・フィクション』『フォレスト・ガンプ』が話題をさらった年で、この映画は興行的に振るいませんでした。アカデミー賞も作品賞ほか7部門にノミネートされながら受賞はゼロ。
評価が反転したのはビデオレンタルとテレビ放送からです。観た人が人に勧める、という広がり方をした結果、IMDb(世界最大の映画データベース)のユーザー投票では長年にわたり全作品中1位を守り続けています。批評家の点数以上に、一般の観客が支持し続けているタイプの名作です。
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